2015/09/20

ボローニャでの生活開始

ご無沙汰してます。
日本では安保法案の採決でバタバタしていたようですが、ここボローニャでは事務手続きや家探しでバタバタしていました。

ボローニャ空港は予想以上に綺麗で、空港内にあるギラギラとしたランボルギーニの展示を見て、かっこよさと、アホっぽさから、早速イタリアという国に圧倒されました。
空港から旧市街まではだいたいバスで20分くらいだったと思いますが、バスの車窓から見る街並みは、ローマ帝国の影響なので当然といえば当然なのですが、「ダルマチア」そのものでした。
イタリア人は割と小柄な人が多いので、風貌はクロアチア人とは少し違うのですが、
カフェでぐだぐだしたり、何に対してもリラックスした国民性はクロアチアそのもののように感じて、心地よくも感じています。

ボローニャは学生都市なので、本当に若者が多いです。
平日・休日を問わず町中若者がわいわい騒いでいたり、学生のためのお店(プリント・コピー店や筆記用具店など)がかなり多いです。
小ぢんまりとした街なので、大型のスーパーや家電・家具量販店などが全くないのが少し残念ですが、そういったところもどことなく「コミュニティ」に密着している感があって悪くもないのかな、と感じています。

ただ、ボローニャについてから1週間、本当にめまぐるしい毎日を過ごしてきて、今日やっと1日ゆっくりとすることができています。
まずは、Airbnbというサイトで安い宿を予約していたのですが、突然前日になって全く記載と異なる街の外れの住所が送られてきて面食らってしまいました。
Airbnbは個人が会社を経由して自宅の部屋を貸し出すというシステムなので、そういったトラブルはしょっちゅうあるようです。
返金の要請は行っているのですが、なかなか返事はきていません。

そんな状況に陥ってしまったので、ウィーン外交アカデミー時代の友人はすでにPre-Termという学期前授業でやってきていたので、彼の家に少しだけ泊めさせてもらうことになりました。

予定通りに行けば、ボローニャに行く前に目星をつけたアパートを内見して、その場で契約書を書いて入居するはずだったのですが、
実際に中に入ってみると、どことなくカビくさい臭いと、果てしなく低い天井に(リビングは2m程度、トイレ、シャワーに関しては1.6m程度なので、立ってシャワーも浴びることができません)圧迫感を感じて、そこに入居することはやめにしました。
そこからが悪夢の始まりです。

ボローニャは大学が市内の右側に位置していて、学生がみんなその周辺に住みたがります。
それなのに新しい家は建てられないので、学生同士の「アパート探し競争」はかなり熾烈です。
まず、イタリア語のホームページはあるものの、そこの電話番号に電話をかけても英語はまず通じません。
ジョンズ・ホプキンス大学SAISヨーロッパ校では代々サルバトーレというオジさんが礼金を取って住居を斡旋しているようなのですが、
ほとんどがPre-term(学期前授業)にきた生徒たちに先取りされてしまう上に、今年のクラスは去年よりも40人近く多かったらしく、斡旋できるアパートはもう無いと、彼を頼りにしてきた生徒たちも多いにもかかわらず門前払いを食らってしまいました。
学校が始まって一週間程度、まだアパートが見つかっていない学生も相当数いるようです。

どうしようかと迷っていると、今度はウィーン時代の友人のルームメイトが誕生日ということで、彼女が尋ねてくるので出来れば家を空けて欲しいと頼まれてしまいました。
彼は本当にごめん、またいつでも来てくれと言っていたので悪い気は全くしませんでしたが、ほかの安いAirbnbアパートにまた移らなければなくなってしまいました。

そこからボローニャ大学が提携するBussolaという無料で住居を斡旋する機関を通じて探してみるものの、
いかんせん同じシチュエーションの学生も多く、なかなかアポイントメントも取れず、
一旦アポイントを取って見に行ったと思ったら「前にきた子がもう予約入れちゃったよ」なんて言われて追い払われてしまいます。

そんな中でも学校のオリエンテーションは続いています。
教授とのアカデミック・アドバイスや修士論文を書くための指導教授とのコンタクト、英語の試験など、いろいろてんやわんやで何が何だかわからなくなっているうちに、
今度は風邪で熱を出してしまいました。
こんなことを書くのもアレですが、熱でダウンしている場合じゃないので、日本から持ってきた薬をほとんどすべて使い切って、ボローニャの薬局でも薬を買い込んで、
自分の体をごまかしながら毎日を切り抜けていました。
このブログを書いている今、やっと少し鼻に残ったくらいに回復しています。

とにかく、アパートが見つからないという致命的な状況でも、レセプションなどでの学生同士との交流は逃したくなかったので、
カクテルパーティーなどに顔を出していろいろな人と仲良くなっていると、
一人韓国人の子が「私来月からいまのアパート出るから、見にくる?」とのオファーをしてくれました。
棚から牡丹餅とは正にこのことかというくらいの出来事で、すぐさまレセプションを後にして彼女のアパートに行くと、待ち受けていたのは60歳のメキシコ人のおばさん。
彼女と、一緒に住んでいるイタリア人の子はこのおばさんの行動に嫌気がさして家を出るとのこと。

よくよく話を聞いていると、彼女は昔SAISで勉強していて、ここの大家さんとの友人だったのだが、大家さんが亡くなってこの家を相続したとのこと。
なんだかよくわからない嘘みたいな話を1時間くらい聞かされましたが、悪い印象は与えたくなかったので、笑顔で彼女の話を聞いていました。
それが功を奏したのか、結局ここのアパートに泊めてもらえることになりました。

ルームメイトは英語がまったくできないシチリア出身のイタリア人と、おしゃべりなメキシコ人のおばさんです。

韓国人とイタリア人の子たちはあまりうまくやっていけなかったみたいですが、今の所いろいろと気を使ってくれて、助かっています。

とにかく、やっと生活の基盤ができあがった感じです。
アカデミックな話はまた後ほどしようと思います。